1-3 翻訳された科学

『解體新書』與般亞單闕兒武思著 ; 杉田玄白譯 ; [前野良沢譯] ; 小田野直武[画] 1774(安永3)年

解体新書表紙

解体新書骨
解体新書_手

 ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの“Anatomische Tabellen”のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を翻訳した書で、日本初の西洋語からの本格的な翻訳書。中津藩藩医 前野良沢(1723-1803)と小浜藩藩医 杉田玄白(1773-1817)を中心に翻訳され、精細な解剖図を秋田藩士 小田野直武が描いた。
 杉田玄白の自伝『蘭学事始』に『解体新書』成立のいきさつが書かれている。1771(明和8)年3月4日、杉田玄白、前野良沢、中川順庵の三人は、江戸千住小塚原の刑場で解剖に立ち会う。ここで人体の内部を見て、『ターヘル・アナトミア』の描写の正確さに驚き、翌日の3月5日から翻訳作業が開始された。完成まで約3年の年月を要した。翻訳の際に生み出された【神経】【軟骨】【動脈】などの用語は今日も使われている。

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『虎狼痢治準』緒方洪菴譯述 1858(安政5)年

虎狼痢治準_序文

虎狼痢治準_表紙裏

 1858(安政5)年、長崎から流行し始めたコレラは、江戸や大阪で大流行した。治療法が乏しい中、大阪に適塾を開いたことで知られる蘭学者の緒方洪庵(1810-1863)が、急遽コレラについて著したのが本書である。長崎のオランダ人医師ポンペの説に加えて、他3冊の洋書を訳したものをまとめ、さらに洪庵の経験を交えて治療法を記した。
 洪庵は日本の近代医学の祖と呼ばれ、主な著作として、師である宇田川榛斎の遺志を継いでまとめられた日本初の病理学書『病學通論』がある。また翻訳でも大きな功績を残しており、『虎狼痢治準』以外にも、ドイツの有名な医師フーフェランド著“ Enchiridion Medicum”を『扶氏経験遺訓』として約20年かけて翻訳している。 

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『舎密開宗』賢理[原著] ; 宇田川榕菴重譯増註 1837(天保8)年

 日本初の体系的化学書。宇田川榕菴(うだがわ ようあん 1798-1846)によって、イギリスのW.ヘンリーの著書“Epitome of Chemistry”(1801)のオランダ語版を基本に24冊もの外国の科学書を翻訳し、まとめられたもの。著者の見解も合わせて記載されている。榕菴は英才を望まれて宇田川榛斎(緒方洪庵の師)の養子となった人物。タイトルの「せいみ」はオランダ語Chemieの音訳である。本書で宇田川榕菴によって生み出された多くの化学用語は、現在も使われている。例えば【酸素】【水素】などの元素名や、【元素】【成分】【温度】【燃焼】【酸化】【還元】【溶解】【結晶】【分析】といった用語である。

舎密開宗_銀樹

銀樹を作成する実験

舎密開宗_結晶

結晶形図解説

舎密開宗_装置

上:集気装置
下:水を分解する方法

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『植學啓原』宇田川榕菴著 1833(天保4)年序

 日本初の本格的な西洋植物学書。前出の『舎密開宗』の著者でもある宇田川榕菴は、養父・榛斎とともにショメールの『家政百科事典』の翻訳事業に携わったことから、西洋には実用的な本草学とは異なる「植学」(植物学)があることを知り、西洋の近代植物学の研究を始める。
 1822(文政5)年に『菩多尼訶経』により、日本で初めて西洋植物学の概要を紹介した後、本格的な植物分類学の書である『植学啓原』を完成させた。この『植学啓原』は植物学入門の概説書であり、江戸期の本草・博物学、明治期以降の近代的植物学や薬学研究に大きく貢献した。巻末には「植学啓原図」が収録されている。

植學啓原ツクバネ

第七圖 都苦抜涅・鐘空木:上段の「ツクバネ」は、シーボルトが種名に榕菴の名を付けた「Calycopleris joani Sieb.」という学名を与え、図中にもカナで「カレーロプレリス ヨウアン」と示されている

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植學啓原_二十四綱

第十八圖 林娜氏二十四綱:リンネの二十四綱法(植物分類法)の図で、原図はドイツの植物画家エーレットによるものだが、第十六綱と第二十四綱は原図とは異なる