鎖国をしていた日本には例外として長崎出島に外国人が滞在していた。そこは蘭学としてヨーロッパ文化が日本に伝わると同時に、日本の様子がヨーロッパに紹介される唯一の窓口であった。
『訓蒙圖彙』中村惕斎編 1666(寛文6)年序
『訓蒙圖彙』は日本で初めての絵入り百科事典で、京都の儒学者で博物学者である中村惕斎(なかむら てきさい 1629-1701)によって作成された。「訓蒙」とは「啓蒙」と同義である。序にある「吾が家に児女有り」で始まる文章には、「この書をわが子のために国字を添え絵図を入れて作った。子は本書を毎日見ているうちに『物を観て名を呼び、名を聞きて物を弁じ、以て略字様を識る』に至った。」と書かれている。
大きな絵図が美しいこの本は人気を博し、1666(寛文6)年に初版が出て以来、増補改訂を重ねた。
本学所蔵分は上部の説明の枠線が弧になっているため、下記のケンペルが日本から持ち帰った資料と同じ版だと思われる。
“The history of Japan” (ケンペル著『日本誌』) 1728年
ドイツ出身の医師で博物学者であるエンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer 1651-1716)は、オランダ東インド会社の医師として1690(元禄3)年に来日した。有名なシーボルトが来日する約120年前である。2年余りの滞在中に2度江戸参府し、五代将軍綱吉に謁見した。その旅行記や、歴史、地理、政治、動植物など様々な側面から日本を記録した“The history of Japan”(『日本誌』)はヨーロッパで初めて体系的に日本を紹介した書物として知られ、各国語に翻訳された。この挿絵の一部に、日本より持ち帰った『訓蒙圖彙』が利用されている。ケンペルの収集した資料は、現在大英博物館および大英図書館で保管されている。
『旧人体之図』[出版者不明] 1661(寛文1)年[刊]
江戸時代の医学は『解體新書』で西洋医学が紹介されるまで中国医学を元に発展していた。本学の砂治文庫には『旧人体之図』として、鍼灸の経穴が正・背・側面の三方から描かれた「明堂図」と「臓腑図」の計4枚が巻子の形で伝えられている。「明堂図」は、ケンペルの描いた「灸所鑑」と比較しても面白い。