広く大衆を読者とした近世後期の戯作にとって、挿絵は不可分なものであった。挿絵は、大衆に物語のすじをわかりやすく説明する要素を持つとともに、本文中では説明のできない情景やおかしみを表現する手段としても使用された。またその美術性から、挿絵の良否は戯作の売れ行きにも影響を及ぼした。
『昔話稲妻表紙』山東京傳編 ; 歌川豊國繪 1806(文化3)年
近松門左衛門の浄瑠璃などをもとに、主人公の名古屋山三郎による不破伴左衛門への仇討を中心とした筋立ての作品である。そのため本作中には、血痕や生首といった凄惨な描写も多くあり、豊国(初代)による挿絵はその情景に一層の凄惨さを加えている。
左の図は犬が生首をくわえて歩いている場面であるが、この犬の描写は本文中ではなされていない。実はこの前のページにも見開きで挿絵が入っている。それは主人公の名古屋が、不和の手下5人を惨殺するシーンであり、そこには見開きの画面いっぱいに5人の死体、そして両手に日本刀を持って大立ち回りをする名古屋の姿が描かれている。だがそれだけでなく、その挿絵の左上にはページ端に続く血痕と犬の足跡が描かれている。読者がページをめくると挿絵の続きが現れるという仕掛けである。この意外性のある演出は、前ページの躍動感とは無縁の犬の態度や広い余白の効果もあいまって、この場面の雰囲気に深まりや余韻を与えており、挿絵と本文が相互に効果を及ぼしあって作品の内容を昇華させている好例である。
『椿説弓張月』 曲亭馬琴作 ; 葛飾北斎畫 1807-1811(文化4-8)年
『椿説弓張月』は源頼朝や義経の叔父にあたり、強弓で知られる鎮西八郎為朝の活躍と冒険を描いた大作であり、『南総里見八犬伝』以前に馬琴の名を一躍有名にした読本中の傑作である。その人気ぶりは、当初前後編のみで完結の予定であった本作品が、あまりの評判の良さにその後4年にわたって続編を書き続けることになったということからも分かる。
本作品の挿絵画家は、多様な画法を学び、独自の画風を確立したことで知られている葛飾北斎である。北斎は本作においても「神奈川沖浪裏」に見られる躍動感のある波の描写や、匡郭(囲い線)を突き抜けて人物や物を描く技法、放射状に発散される光の描き方などを存分に駆使して挿絵を描いている。そして動きに満ちたそれらの挿絵は本作の魅力を十二分に高めている。
『偐紫田舎源氏』 柳亭種彦作 ; 歌川國貞画 1830(天保元)年
挿絵の周囲に本文を配置する合巻にとって、作品における挿絵の地位はますます重要なものとなってくる。左の『偐紫田舎源氏』の口絵も多色刷りであるが、上記の読本の挿絵に比べて優美さが増していることが分かる。
数ある合巻の中でも、室町時代を舞台に『源氏物語』を翻案した作品である本作は、その内容もさることながら、役者絵や美人絵を得意とした人気絵師の国貞(のちの三代目豊国)による挿絵の美しさ、艶やかさから特に女性の間で大いに流行した。また本作における挿絵の美麗さは、地方に住む人々にとって大都会江戸の文化への憧れともつながるものであり、本作は都会だけでなく地方へも広く流布し、このことも本作の読者層を増やす一因となった。