注1:年月は陽暦を基準とする。西暦年と日中の元号の対応は陽暦上のものである。
注2:○内数字は陽暦の月を示す。そうでないものには○の後に「旧暦」と注記する。
注3:*印は月が不詳であることを示す。
注4:原則として常用漢字、人名用漢字を用いる。

日中関係・世界の動き 阪神華僑社会の動き 王敬祥関係事項
1127~1162
(南宋高宗)
*南宋高宗年代、王璡、福建泉州から金門島山后郷に移住し、山后王氏の開基祖となる[1]
1843
(天保4)
(清道光23)
⑧(旧暦)山后王氏一六世三房孝匣(敬祥の養父)、金門島山后郷に生まれる[2]。諱孝匣、字国珍、号明玉[3]
1862~1874
(同治年間)
*同治年間、孝匣、布袋戯一座を率い、長崎に移住[4]
1868
(慶応4,明治元)
(同治7)
①日本、王政復古の大号令
⑩明治改元
①兵庫(神戸)開港、大阪開市
③神戸雑居地設置
⑧「大阪兵庫外国人居留地約定書」
⑨大阪開港場に変更
*神戸・大阪に清国人来る
1870 *神戸八閩公所(福建商業会議所、福建公所、福建会館の前身)設立[5]*神阪中華義荘開設(神戸) *この頃、孝匣、神戸八閩公所会長(理事長)に就く[6]
1871 ⑨日清修好条規調印(1873④発効) ①兵庫県「清国人取締仮規則」(~1874④)
1872 ①21日(同治辛未年一二月一二日)[7]、敬祥、山后王氏一六世二房孝箱の五男として、金門島山后郷に生まれる。諱敬祥、字敬瑞[8]
1874 ⑤日本、台湾出兵 ④太政官「在留清国人民籍牌規則」(~1878⑨)
1877
(光緒3)
⑫初代清国駐日公使(使日欽差大臣)、何如璋着任 *商話別所(商和別所)設立(神戸,1879、1899説あり)
1878 ⑨清国駐神戸理事府(領事府、領事館の前身)開設
1879 ④琉球処分(沖縄県設置) *この頃、孝匣、甥敬済(敬川)[9]とともに、神戸の源泰号(黄礼蘭の経営)で勤務[10]
1885 ④天津条約調印(⑤発効) *黄檗宗清寿院を改築し、大阪関帝廟建立 ⑩孝匣、神戸税関に復興号を登録申請。店舗は神戸海岸通と大阪川口。保証人は広駿源号(黄礼蘭の経営)[11]
1887 ⑫ポルトガル、澳門領有 *大阪三江公所設立(1882説あり)
1888 ⑩アメリカ、清国人移民排斥法強化 ④黄檗宗万福寺の末寺・慈眼山長楽寺を神戸に移設し、関帝廟建立
⑪広駿源(号)事件(神戸)
*敬祥、孝匣の養子として、大阪の復興号に移住[12]
1889 ②「大日本帝国憲法」(~1947⑤) *日本郵船、神戸-天津線開通
1891 ⑥⑦清国北洋艦隊、神戸寄港
1892 ⑨敬祥、神戸の復興号に移住[13](1893説あり[14])
1893 ⑨清国、保商局設置(1899厦門,1900広州) ①神阪中華会館落成(神戸)
1894 ⑧日清戦争勃発
⑪興中会結成(ホノルル)
⑧勅令第137号「帝国内ニ居住スル清国臣民ニ関スル件」
1895 ④日清講和条約
⑤「台湾民主国」成立
⑩日本、台湾武力「平定」
⑪孫文、神戸上陸
*大阪三江公所が、大清北洋商業会議所(大清北幇商業会議所、大阪中華北幇公所の前身)と大清南幇商業会議所(大阪中華南幇商業公所の前身)に分離
*敬祥の長女臻治(臻英)[15]、生まれる[16]
1896 ③清国、日本に最初の留学生を派遣 ⑨日本郵船、台湾航路開通 *陳興東、神戸に移住、復興号で勤務[17]
1897 ⑤台湾住民去就決定 *孝匣の甥敬斗(山渣)[18]、神戸に移住、復興号で勤務[19]
1898 ⑥イギリス、新界租借。戊戌維新
⑨戊戌政変
⑪東亜同文会結成(東京)
⑥『東亜報』創刊(神戸) *周起摶、神戸に移住、復興号・瑞興号で勤務[20]
1899 ⑦保皇会(中国維新会)(国民憲政会の前身)結成(カナダのヴィクトリア)。日本、治外法権(領事裁判権)撤廃
⑨アメリカ、門戸開放宣言
③法律第66号「国籍法」公布(④施行,~1950⑥)
⑤梁啓超、華僑学校建設の講演(神阪中華会館)
⑦勅令第352号(内地雑居令)・内務省令第42号・内務大臣訓令第728号
⑨神戸華僑同文学校開校。日本郵船と大阪商船、華北航路開通
⑩孔子生誕2450年祭(神戸)
*大阪商船と大清北幇商業会議所の連携
*この頃、敬祥、復興号を継承[21]
1900 *義和団事件勃発 ③神戸華僑同文学校、校舎落成式・開校式
⑥⑦⑧⑨⑪孫文、神戸通過
*「清国孩童総墓」(神阪中華義荘)
*孝匣と敬祥[22]、金門島山后郷に、王氏一族の住宅・家廟(王氏宗祠)・郷塾「海珠堂(民国以降、海珠学校と改称)」を竣工させる。「山后中堡十八間」という[23]
1901 ⑨北京議定書(辛丑和約) ⑦孫文、神戸通過 ⑩敬祥、日本国籍を取得[24]
1902 ①日英同盟 ①⑦孫文、神戸通過 ①22日、敬祥の長男重山(奕珊)、生まれる[25]*敬済の長男振卿(奕卿、奕雲)[26]、神戸に移住、復興号で勤務[27]*孝匣、「復興本号行規条約」を著す[28]
1903 ④拒俄義勇隊(学生軍の前身)結成(東京)
⑤軍国民教育会結成(東京)
③第5回内国勧業博覧会(大阪博覧会)
*大阪博覧会事件(学術人類館事件)
*孝匣、金門島山后郷にて没す[29]。その後、山后郷に埋葬[30]*この頃、敬祥、神戸八閩公所会長(理事長)に就く[31]
1904 ②日露戦争勃発。華興会結成(長沙)
*光復会結成(上海)
⑫清国駐神戸領事館「日本への帰化を禁止する布告」
*『日華新報』創刊(神戸)
⑨敬祥、麦少彭・呉錦堂とともに、神阪中華会館の社団法人設立を兵庫県に申請[32]*復興号、日露戦争軍債を引き受け、さらに軍資を献納[33]*孝匣の甥敬施、神戸に移住、復興号で勤務[34]
1905 ⑧中国同盟会結成(東京)
⑨日露講和条約
⑪韓国保護条約
①大阪商船、大阪-大連線開通
*神戸を通過する清国の憲政視察出洋五大臣一行を歓迎(神阪中華会館,~1906)
*敬祥、神戸華僑同文学校副董事長に就く(~1922)[35]
1906 ⑪南満洲鉄道株式会社設立(本社東京、のち大連) ⑤福邑公所設立(大阪)
⑫梁啓超、神戸滞在(~1912⑨)
*幼稚園開園(神戸華僑同文学校)
⑩敬済、「王敬祥監製」マッチの商標を登録
1907 ⑤敬祥、神戸海上運送火災保険株式会社設立に出資[36]
⑫敬祥、神阪中華会館理事長に就く(~1911①)[37]
1908 ②第二辰丸事件
1909
(宣統元)
③「大清国籍条例」 ⑤神戸中華商務総会(神戸中華総商会の前身)設立。大阪中華商務総会(大阪中華総商会、大阪華商商会の前身)設立 ⑩敬済、「王敬祥監製」マッチの商標を再登録
*鮑翼君、復興号で勤務[38]
1910 ⑧日本、韓国併合 ⑥孫文、神戸通過 *敬祥、横浜正金銀行神戸支店の為替仲買人に就く[39]
1911 ③留日中国国民会・留日女学会結成(東京)
⑦日本、関税自主権回復
⑩武昌蜂起(辛亥革命・第一革命)
⑪留日学生同盟中国紅十字隊結成(東京)
⑥康有為、神戸滞在(~1913⑪)
⑪神戸中華商務総会が中華民国僑商統一聯合会に改組(~1912③)
⑫旅日華僑敢死隊(神戸義勇軍・横浜決死隊)結成[40]
⑩敬祥、呉錦堂・鄭祝三などとともに、読書クラブ「博聞社」設立[41]
⑪敬祥、中華民国僑商統一聯合会会長に就く[42](~1912③[43])
1912
(明治45,大正元)
(中華民国元)
①中華民国成立
②華僑聯合会設立(上海)
⑦大正改元
⑧国民党結成(北京)
⑫福建行政会議「帰国華僑保護弁法」
②中華民国僑商統一聯合会、中華民国臨時政府の資金援助要請に応じ募金
③中華民国成立祝賀提灯行列(神戸)
⑪内務大臣訓令第192号
*中華民国僑商統一聯合会が神戸中華商務総会に改組
*中華民国駐神戸領事館(総領事館の前身)開設
*華僑聯合会支部設立の動き(神戸)
③敬祥、南京臨時政府に興業貿易株式会社の設立を申請
*敬祥、神戸中華商務総会会長に就く(~1916①)[44]
1913 ②中日興業(実業)公司設立計画
⑦第二革命
⑩日本、中華民国(北京政府)を承認
①国民党神戸交通部設立
②③孫文、大阪・神戸訪問
③国民党大阪分部設立
⑧孫文、神戸通過
①敬祥、国民党神戸交通部副部長に就く[45]。敬祥、中国紅十字会特別会員に任命される[46]
③敬祥、中国紅十字総会名誉賛助員に任命される[47]
1914 ⑦中華革命党結成(東京)。第一次世界大戦勃発
⑪日本、青島占領
②神戸華僑商業研究会設立
*(神戸)華強学校開校
⑧敬祥、福建での討袁武装蜂起を資金援助(~⑫頃)[48]
⑩敬祥、中華革命党本部に党の財務の改善策を講じる[49]
1915 ①日本、二一か条要求提出(⑤中国、受諾)
②③孫文「中日盟約」
⑫第三革命
*中華革命党神戸大阪支部設立(神戸) ②敬祥、中華革命党神戸大阪支部支部長に任命される[50]
1916 ⑥袁世凱没 ④孫文、神戸通過 *中華民国(北京政府)、敬祥に五等嘉禾勲章を授与[51]
1917 ⑪ロシア、一一月革命 ③神戸日支実業協会(神戸日華実業協会の前身)設立 ③敬祥、神戸日支実業協会評議員に就く[52]
1918 ⑧日本、シベリア出兵(~1922)
⑪第一次世界大戦終結
①内務省令第1号「外国人入国ニ関スル件」
⑥孫文、神戸通過
1919 ③朝鮮、三・一運動。コミンテルン設立(~1943⑤)
⑤五・四運動
⑩中華革命党が中国国民党に改組(上海)
②(神戸)中華学校開校
④ラマ僧歓迎事件(神戸)
1921 ⑦中国共産党第一回全国代表大会
⑪ワシントン会議(~1922②)
*中国国民党神戸支部設立(1929③~30④駐日総支部に属す) *敬祥ら神戸華僑の有志、広州黄花崗公園造成の募金に応じる[53]
1922 ⑨僑日(華工)共済会設立(東京)
⑫ソヴィエト連邦成立
③大阪貿易同志会(華中方面)と大阪輸出同盟会(華南方面)と大阪北支那輸出同業会(華北方面)が合併、大阪貿易同盟会と改称 ⑥10日、敬祥、神戸にて没す[54]。15日、葬儀(神阪中華義荘)[55]。29日、中華民国(北京政府)教育部、敬祥に捐貲興学褒章を授与[56]
1923 ③旅順・大連回収、二一か条要求撤廃運動
⑫陸海軍大元帥大本営「僑務局章程」
⑨関東大震災。神阪華僑救済団(救護団)結成。関東大震災の罹災華僑を神戸市・神阪中華会館などが受け入れる
⑩震災犠牲者追悼会(神阪中華会館)
⑫顕蔭和尚、神戸訪問
*僑日共済会大阪支部設立
⑤金門島山后郷に回葬[57]
*横浜正金銀行、敬祥遺族に功労金を贈与[58]

参考文献

  • 「華僑史年表」(神戸新聞社『素顔の華僑――逆境に耐える力』京都:人文書院,1987年6月)
  • 高橋強「戦前の日本華僑社会の変容――華僑団体の動向を通して」(長崎華僑研究会編『長崎華僑と日中文化交流』年報・第5輯,1989年5月)
  • 竹内実編『中国近現代論争年表(1895~1989)』京都:同朋舎出版,1992年11月
  • 「川口華商の形成関係年表」(西口忠「川口華商の形成」(堀田暁生・西口忠編『大阪川口居留地の研究』京都:思文閣出版,1995年2月))
  • 王柏林・松本武彦「王敬祥関係年譜」(王柏林・松本武彦編『王敬祥関係文書目録』非売品,1996年8月)
  • 「神戸の中の「中国」ストーリー――神戸華僑物語」(『関帝廟』神戸:財団法人中華会館,1998年8月)
  • 「神戸華僑史年表」(中華会館編『落地生根――神戸華僑と神阪中華会館の百年』東京:研文出版,2000年2月)
  • 西川正雄ほか編『角川世界史辞典』東京:角川書店,2001年10月
  • 岩波書店編集部編『近代日本総合年表(第4版)』東京:岩波書店,2001年11月
  • 「孫文と神戸関係年表」(陳徳仁・安井三吉『孫文と神戸(補訂版)』神戸:神戸新聞総合出版センター,2002年1月)
  • 可児弘明・斯波義信・游仲勲編『華僑・華人事典』東京:弘文堂,2002年6月

(作成:久保 純太郎,2004年3月)


[1] 江柏煒「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」77-79頁
[2] 王柏林「金門島山後[后] 郷王家三代記」31頁。注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82頁
[3] 「王瑞雪致王柏林函及信封」1990年2月2日(「王敬祥関係文書」文書番号0171)
[4] 王柏林「「王敬祥関係文書」について」17頁。注2「金門島山後郷王家三代記」32頁
[5] 洲脇一郎氏によると、「七〇[1870] 年に八閩会[公] 所が創設されたといわれるが、その場所は復興号であったかどうかわからない」(中華会館編『落地生根』73頁)
[6] 呉柏林『福建公所今昔録』10、13頁
[7] 「王敬祥訃報」(陳東華・蒋海波・中村哲夫編『泰益号文書神戸華僑関係(CD-ROM)』Vol.2)
[8] 注2「金門島山後郷王家三代記」33頁
[9] 注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」84頁
[10] 注5『落地生根』68頁
[11] 「王国珍具稟清国駐神戸理事府」1885年10月3日(光緒11年8月25日)(「王敬祥関係文書」文書番号0153)。「清国駐神戸理事府理事照会神戸税関長」1885年10月5日(光緒11年8月27日)(「王敬祥関係文書」文書番号0152)。注5『落地生根』57、66-68頁
[12] 注4「「王敬祥関係文書」について」18頁。注5『落地生根』66頁
[13] 注4「「王敬祥関係文書」について」18頁
[14] 注5『落地生根』66頁
[15] 「王敬祥致王臻英(臻治)、王少海函及信封」[年月不詳] 8日(「王敬祥関係文書」文書番号0085)
[16] 注2「金門島山後郷王家三代記」38頁
[17] 注5『落地生根』67-68頁
[18] 注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82、85頁
[19] 注5『落地生根』66、68頁
[20] 注5『落地生根』67-68頁
[21] 注4「「王敬祥関係文書」について」18頁
[22] 孝匣の役割を評価する注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」100頁。敬祥の役割を評価する注2「金門島山後郷王家三代記」30頁
[23] 注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」100、106頁
[24] 「関於王敬祥日本帰化的許可証書」1901年10月22日(「王敬祥関係文書」文書番号0003)
[25] 注2「金門島山後郷王家三代記」38頁。「金門山后祖派分支世系表」(「王敬祥関係文書」文書番号0172)
[26] 注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」82、85頁
[27] 注5『落地生根』67-68頁
[28] 「復興本号行規条約」1902年(清光緒28年壬寅月)(「王敬祥関係文書」文書番号0021)
[29] 注2「金門島山後郷王家三代記」32頁。王柏林著,江柏煒・簡吟芳訳,江柏煒校対・訳注・図説「金門山后郷王家三代記:一個移民神戸華僑家族的伝記」185頁注10
[30] 注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」90頁図16
[31] 注6『福建公所今昔録』11、13頁
[32] 注5『落地生根』110-111、369-371頁
[33] 注5『落地生根』116-117頁
[34] 注5『落地生根』67-68頁
[35] 「神戸華僑同文学校四十週年紀念刊」1939年,133-134頁(陳徳仁編『学校法人神戸中華同文学校八十周年紀念刊』より転引)
[36] 「剪報:「神戸海上運送火災保険株式会社」」『大阪毎日新聞』1920年2月29日付(「王敬祥関係文書」文書番号0174)
[37] 注5『落地生根』379頁
[38] 注5『落地生根』65頁
[39] 注5『落地生根』66頁、89頁注(30)。王敬祥が横浜正金銀行神戸支店の為替仲買人に就いたのを1913年とする説がある(注2「金門島山後郷王家三代記」37頁)が、王敬祥は1911年に自ら「予は正金銀行の買辦なれば」と述べている(「時局急転後の在留清人観(三)」『神戸又新日報』明治44年(1911年)11月13日付)ので、『落地生根』の1910年説を採る
[40] 松本武彦「辛亥革命時期の在日華僑敢死隊について」
[41] 蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」116頁
[42] 松本武彦「中華民国僑商統一連[聯] 合会の成立と性格」。同会は新政府の財政を援助するために、中華銀行(上海)の株券引き受けなどを行った(注5『落地生根』134頁。蒋海波「辛亥革命時期神戸華僑の政治活動について」120頁)
[43] 「王敬祥致陳其美、宋教仁、黄興、沈仲礼、王揖唐等函底稿」1912年4月上旬(「王敬祥関係文書」文書番号0151)
[44] 「王敬祥等創辦興業貿易株式会社呈」(中国第二歴史档案館編『中華民国史档案史料匯編』第2輯273-277頁)。「統一聯合会解散」(『神戸新聞』1912年4月1日付)、「王敬祥氏却けらる」(『神戸新聞』1916年1月31日付)
[45] 「中国国民党神戸交通部職員名表」1913年1月19日(『国民雑誌』第1号,1913年4月,130-131頁)
[46] 「中国紅十字会特別会員憑照及信封」1913年1月29日(「王敬祥関係文書」文書番号0023)
[47] 「中国紅十字総会名誉賛助員憑照及信封」1913年3月1日(「王敬祥関係文書」文書番号0024)
[48] 蒋海波「神戸華僑と中華革命党」263-269頁
[49] 「王敬祥呈孫文書」1914年10月4日(「王敬祥関係文書」文書番号0160)。注48「神戸華僑と中華革命党」272頁
[50] 「孫文等給王敬祥委任状」1915年2月11日(「王敬祥関係文書」文書番号0075)
[51] 「王敬祥氏死去」(『神戸又新日報』1922年6月12日付)。同記事によると、敬祥は中南銀行(上海)の重職に就いたことがあるという
[52] 西島函南「神戸日支実業協会の成立由来と現状一班[斑] (一)」(『日華実業』第1号,1922年9月,6頁)。松本武彦「神戸日華実業協会の成立について」
[53] 林玲「黄花崗で出会った辛亥革命元勲の子孫」(『中国画報(日文版)』総第424期,1983年10月)。陳来幸「広州黄花崗公園の「紀功坊」について」
[54] 「王敬祥氏逝く」(『神戸新聞』1922年6月12日付)。注7「王敬祥訃報」。注51「王敬祥氏死去」。「王敬祥君之訃」(注52『日華実業』第1号,22頁)
[55] 『神戸新聞』1922年6月14日付所載の葬儀告知。注54「王敬祥君之訃」
[56] 「捐貲興学褒章執照」1922年6月29日(「王敬祥関係文書」文書番号0072)
[57] 注1「晩清時期的華僑家族及其僑資聚落」97頁注35。注7「王敬祥訃報」
[58] 注4「「王敬祥関係文書」について」25頁