千本村内海家文書 解題
千本村(現たつの市)内海家文書の整理は、1990年8月から新宮町教育委員会が整理したものを「偲ぶ会」が加筆修正した。内海家に所蔵されているものを除けば、関西学院大学図書館、神戸市立博物館、それと本史料群の三か所に分割されている。分割されたのはかなり以前の事で、これまでの調査を総合すれば、以下のような経緯をたどっている。
1945年の敗戦からそれほど年月を経ない頃に大量の内海家文書が流出し、神戸の古書店を経て当時関西学院大学教授だった藤木喜一郎氏に売られ、藤木氏さらに一部を除いて関西学院大学に売却した。若林氏が入手した経路、時期については明らかにしえないが、近世前期のものが多く、藤木氏がかなり後まで手元に置いていた内の一部か、重要史料として、纏まって流出した史料ではないかと考えられる。藤木氏の手元に最終的に残った古文書は、氏の死後他の古文書と一括し神戸市立博物館が購入した。
三分割された史料の大雑把な量は、関西学院大学図書館蔵3350、神戸市立博物館蔵400、当館蔵130点となっている。関西学院大学図書館所蔵史料は、1984年に『関西学院大学図書館所蔵史料目録 第一輯』として文書目録が公刊されている。文書は①支配(法規、見分、猪山、召喚、報国隊、財政)、②村(村政、土地、貢租、戸口、治安、上木・水利、備荒・救仙、交通、生業、度量衡、訴訟、共同生活、絵図)、③寺社(僧侶・神官、仏事、神事、寺社経済、造営・修復、氏子)そして④家(相続、家産、家政、生業、雇用、その他の書簡)に分類されている。基本的な庄屋文書及び宿場関係文書は関西学院大学図書館に所蔵されていることが判明する。ただこの史料群は、量は多いものの、近世後期に集中して、初期並びに前期の史料は極めて少ない。
「偲ぶ会」が調査した時点では、若林泰氏収集文書は412という番号の入ったワイシャツの紙箱に入れ納められ、文書と共に残されていた広告の裏を利用したメモ書きに「千本村文書新規の分 余り大切なるものなく未だ目録とらざるなり 改六月十日午後」と書かれている。「新規の分」「余り大切なるものなく」という記述から、若林氏は二度に分けて、文書を購入したと思われる。
そして若林氏の雑記帳には
「播州千本宿 ワイシャツ一箱 各種
○一巻 寛永~寛文 代官より触出 貴重物(加筆) 明細うしろ2ケ所に
○一括 幕末期年免定 各種幕末
○一包 明治初年のもの一括 明治初年」
とある。おそらく、これが、若林氏が千本村内海家文書を人手した当時の文書の現状だったのではないか。
揖西郡千本村は、慶長5年(1600)池田輝政の所領となり、輝政の死後、次の利隆も早世し、光政が姫路藩主となったが元和三年(1618)3月、幼少を理由に鳥取に転封となった。同年9月本多政朝が龍野に入部し千本村は龍野藩領となったと思われる。以後藩主の転封に伴い一時的に幕領になっていた時期を除けば基本的に廃藩まで龍野藩に所属した。
本文書群の史料を分類すると、①寛永14年(1637)12月京極高和が藩主になってから万治期にかけての京極氏の支配関係史料、②明暦4年(1658)2月~寛文12年(1672)6月、京極氏から脇坂氏へ替わる間の幕府領の時代の史料、③脇坂氏時代の支配関係史料、④寛永から天明期の田畑山林売買等史料、⑤天保期から幕末期の諸文書、⑥明治期の布達や借用書などとなる。①の京極氏時代のこの地方の在地支配は、これまでほとんど明らかにされていない。断片的だが、支配や年貢徴収の具体的な様相を伝える史料として重要である。また②の幕府領時代の史料は、⑴一般の触、⑵大坂城修復関係の触、⑶幕府領とそれに準ずる地域にかけられた付加税の一種、六尺給米の史料がある。
寛文期は経済先進地である西国に対する江戸幕府の支配体制を考える上で、極めて重要な画期である。慶長期の国奉行制、元和~寛永期の京都所司代を中心とした上方八人衆による支配を経て上方郡代による民政が敷かれ、寛文期には京都町奉行による上方八か国支配体制が確立した。このもとでの支配の実態を示す史料、近世前期の代官と手代の在地支配の実相を語るほか、元禄期に村切りされた千本村が「村切」前に一括して支配されていた時期の地域の状況を明らかにするまたとない史料でもある。
(神戸深江生活文化史料館&神戸史学会 大国正美)
<参考文献>
若林泰「脇坂氏播磨龍野藩へ移封時の幕府代官側史料」『地方史研究』164号(30巻2号)(1987年)
のち若林泰氏を偲ぶ会編 若林泰氏著作集『灘・神戸地方史の研究』(1987年)に収録
龍野市史編纂専門委員会 編『龍野市史』第2巻、竜野市、1981年
龍野市史編纂専門委員会 編『龍野市史』第5巻、竜野市、1980年
若林泰氏を偲ぶ会編『播磨千本大庄屋と摂津有野村戸長役場の古文書』(1994年)
新宮町史編集専門委員会 編『播磨新宮町史 史料編 1(古代・中世・近世)』新宮町、2005年