広峯神社古文書


広峯神社は、奈良時代末の天平六年(734)に、吉備真備によって白幣山に大社殿が創祀されたのがはじまりとされ、天禄三年(972)年現在地に遷座しました。現在、本殿・拝殿とも国の重要文化財であり、国内最大級の大きさを誇っています。
広峯神社は、素戔嗚尊を主神として祀り、これは古く神功皇后の祭祀に始まるといわれています。貞観十一年(869)には分霊が山城国葛原に祀られました。これが「祇薗本社播磨国広峯社」といわれるゆえんです。分霊の京都祇園八坂社が発展したため、広峯社はその末社の感が生じましたが、もとは本社の称を誇っていたのです。中世からその存在は播磨国の惣社とともに中央に知られており、檀那は播磨国だけではなく、摂津・但馬・丹波・備後・因幡・美作・丹後などの周辺諸国までおよんでいました。
広峯神社文書は、この広峯神社に伝来した文書であり、現在広峯神社と同神社の社家肥塚氏および神戸大学附属図書館の三カ所に分散所蔵されています。そのうち神戸大学所蔵分は、昭和十三年九月に旧制姫路高等学校が購入したもので、戦後同校が新制神戸大学に移行するとともに、神戸大学附属図書館に移管されたものです。

※翻刻の参考文献:神戸大学文学部日本史研究室「史料紹介神戸大学付属図書館教養部分館所蔵広峰神社文書」(『神戸大学史学年報』第二号、一九八七年)

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