第2回 書評部門 応募作品リスト
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とりあえずのわたしは熊野古道を歩くことにする。
P.N ぱなんぽさん
ぼんやりの時間(辰濃和男)
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いまわたしはパソコンでこの文章を書いている。ということはつまり,パソコンの内(詳しい仕組みはよく知らないけれど)でソフト的?に何かしら処理が行われて事実こうやって文字が画面に出力されて見て打って――してるわけだけれど,その処理のことを考えてみるとその処理はとうぜん機械的な処理であって冗談でなしに感情的に処理することなんてない。何がいいたいかというと,要するに,「コンピュータはある定められたルール(アルゴリズム)に則って処理をする」ということだ。そうでなければコンピュータ最大の長所の強力な計算力・記憶力なんてありえない。
いままわりを見ると,コンピュータに限らず「機械的な処理」であふれている。思うにそれは,その方が「管理しやすい」からで「効率が良い」からだ(このふたつはほとんどイコールかもしれない)。だから多くの木造の家がオフィスビルになったし,土や砂利の道がアスファルトになった。そしてこうした変化のうらではやっぱり「自然破壊」のワードがいわれる。でもわたしは声高に,ある意味で分かりやすく,自然破壊がどうのこうのとはとてもじゃないけどいえない。だってこうなった社会で便利にくらしているのは事実だし,だいいちわたしは平成生まれでこういうくらしがいまと便利の差はあれどもうすでにあったから,こういうくらししか本当の実感としては知らない,知りえない。けれど,山や川や海の自然が破壊されるのはすごく嫌だ。感情的に,すごく嫌だ。この漠とした感覚のみなもとみたいなのが何なのかずっと分からなくて,そんななか辰濃和男さんの『ぼんやりの時間』を読むことができてよかった。
『ぼんやりの時間』は「機械的な処理」がもたらす「人間」への影響をゆっくりの時間で伝えてくれる。なんで忘れてしまっていたんだろう!とうれしくくやしがるほかないのだけれど,もっと本質の「自然→人間」「自然=人間」の関係をあらためて気づかせてくれる。
ノートパソコンを閉じてとりあえずのわたしは熊野古道を歩くことにする。
その同情は、本物ですか?
P.N セサミさん
かわいそうだね?(綿矢りさ)
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他人に対する憐れみは自分の惨めな現実から目を背けたい欲求から生まれているのかもしれない。
主人公は冒頭から彼氏から元彼女の同棲を認めるように迫られる。元彼女に同情することにより自分の現状を認めることを逃れようとする主人公が最終的に現実を認め、前に進んで行くプロセスは痛快である。
本書では「かわいそう」という言葉が一つのキーワードになっている。幼少期の主人公の「かわいそう」という言葉対し、同級生から「お前嫌なやつだな」と発言される場面がある。やがてその言葉の真の意味を理解するような状況に主人公は追い込まれていくのだが…。
ここ最近「感動ポルノ」という言葉が使われはじめたが、私たちは他者を同情することによって無意識に自分の心の平安を保っているのではないか。
現実が思うようにいかない時に私たちにできることは自分より不幸な人に目をむけるか、現実に向き合きあい努力していくことしかないのだろうと感じさせられる、そんな一冊だった。
親愛なる友よ!
カーテン(アガサ・クリスティー)
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毛利探偵事務所の下にある「喫茶ポアロ」。名前の由来となったのは、イギリスでシャーロック・ホームズと並び称される名探偵エルキュール・ポアロだ。今回おすすめする「カーテン」は、ポアロ最期の事件となる物語である。
著者は「オリエント急行の殺人」「そして誰もいなくなった」などを手掛けたミステリーの天才アガサ・クリスティー。アガサの作品が愛されるのは、ミステリーの奥深さ、表現の分かりやすさ、そして少しのユーモアがあるからだ。素人にも読みやすく、それでいて玄人をうならせる。
中でも「カーテン」は傑作である。あなたは最後の最後まで“殺人が起きたことすら”気づかないだろう。事件は影をひそめ、ポアロは何も教えてくれない。これでミステリーなのか…。困惑したあなたを待っているのはラスト40ページの劇的な謎解き。ようやくあなたは最初から騙されていたことに気づく。誰にって?もちろん犯人と、それからポアロに。
読み返さずにはいられない。全てを知ったとき、たわいもない出来事の一つ一つが恐怖に変わる。
神戸大学の偉大なる先輩
P.N ベンゼン400さん
海賊とよばれた男(百田尚樹)
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神戸大学在学中の皆さんは、本学に「出光佐三記念六甲台講堂」という講堂があるのをご存知でしょうか。この講堂は、出光佐三が戦後、GHQによる神戸大学の学舎全面接収を阻止すべく協力したことや、講堂の再生の際に出光興産株式会社から多大な支援を受けたことに対する感謝の気持ちを込めて、出光佐三の名前が冠されているそうです。
さて、本書の主人公である国岡鐵造は、そんな出光佐三をモデルとしています。本書は完全なノンフィクションではないものの、石油を通して日本の既得権益と戦い、世界と戦う出光佐三の姿が描かれています。神戸大学の前身、神戸高商在学中は目立つ学生ではなかった国岡鐵造が、如何にして巨大国際石油資本「メジャー」と対等に戦いうことが出来たのか。何故、他の日系石油会社のようにメジャー傘下となることもなく、一から石油販売をなし遂げたのか。日本と戦いつつも、日本のために生きた彼の人生は、今後社会へ出て働く人の指針となることでしょう。
ベストセラーとなった本書ですので、既に読んだ方も多いと思いますが、まだ読んでいない方は、私達の偉大な先輩である出光佐三の波乱万丈の生涯について、出光佐三という一人の人について、本書を通して味わってみてはいかがでしょうか。百田尚樹の素晴らしい味付けによって、ノンフィクションとは思えない高揚感、感動、没入感を体験できることと思います。
「戦う哲学者」による、世の中の「善人」に向けた禁断の糾弾書。
P.N 星の王子さまさん
私の嫌いな10の人びと(中島義道)
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この本は、自らを「良い人」だと思って止まない方にこそ、読まれるべきである。そして読めば必ず分かる、自分がいかに偽善に満ちた人間であるかを。そして世間がいかに偽善に満ちた世界であるかを。
筆者中島は「現代の戦う哲学者」と呼ばれる哲学界の異端児。かつての哲学者のイメージを覆すほど卑屈で豪傑な人物。そんな筆者に言わせれば、「善人ほど悪いやつはいない」のである。独自の観点から世の中にはびこる「善意」を疑い、その裏に潜む「偽善」を痛快に暴いていく。その語り口は大胆にして明晰、指摘の的確さには思わず唸ってしまう。
ところでこの本を読むには、読者自身もこの本と「戦う」必要がある。特に自分を「良い人」だと思い込んでいるほど、筆者の言葉は刃の如く心に突き刺さっていくだろう。全身に傷を負う覚悟で読まなければ、筆者の論撃に打ちのめされ、最後まで読み終えることなくこの本を投げ出してしまうかもしれない。しかし読み終えた時、自分の中の見栄や欺瞞が見事に削ぎ落とされ、この世界には不愉快な常識に基づく「当たり前」がいかに多く溢れかえっているかが分かるはずだ。それと同時に新たな「眼」で世界を捉える力を得ていることに気づくだろう。
とてもタイトルの長い日本酒の本
P.N aiさん
本当にわかりやすいすごく大切なことが書いてあるごく初歩の統計の本(吉田寿夫)
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随所に紹介される日本酒に関心をひかれる本です。著者の「しゅみ」が様々なところに反映されており、読者を飽きさせません。著者の紹介する日本酒を飲みながら読んでみると、理解が深まるかもしれません。
本来のコンテンツでもある統計については、統計に関する授業を受講したことのない初学者にもわかりやすく書かれています(書評者も「統計学」の授業をとったことがありません)。著者は学会などでよく「深い理解」を大切にされていることを述べており、この本にもその姿勢がよくあらわれているな、と感じます。卒論やジャーナル投稿の場面で、「なぜこの統計法を使うのか」ということについて深く検討せず、「先行研究と同じものを採用した」といった経験のある方に是非手にとって頂きたいと思います。
書評者は著者と個人的に親交があるため、上記の表現には多大に誇張が含まれている可能性もあります。とはいえ、統計も日本酒も大学生のうちに学んでみて損はないと思います!おすすめです!
歴史は暗記ではありません
P.N aiさん
歴史とは何か(E.H. カー)
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歴史にどんなイメージをもっていますか?暗記?無味乾燥な文字の羅列?年号の語呂合わせ?
著者は、全編にわたって「そうではない」ことを示してくれます。社会科学系の学部に入学して、「社会科学はScienceなのか?」という疑問をもっているみなさんには、とくに読んでほしい、と思います。日本人になじみの薄い事例があったり、後半部分は抽象的な説明が増えたりと、解釈にやや難解な部分もありますが、まず1度、最後まで読み進めてみていただきたいです。そうすることで、「大学で学ぶとはどういうことだろうか」という疑問や、「わたしの研究していることは科学なのだろうか」という疑問も少なからず解消されるかもしれません。
また、「客観的」とか、「因果推論」といった文理問わず様々な分野で論争となっている近年の研究法論争についても、この本から学べることは多いように思います。大学院で研究するようになって、学部生のときにもっときちんと読んでおけばよかったと思う本のひとつです。
手軽にできる非現実体験
P.N たけ氏さん
ほしのはじまり 決定版星新一ショートショート(星新一 (新井素子 編))
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行き詰まった時、あなたなら何をしますか?気分転換のためにすることといえば、映画鑑賞やゲームや読書といったことが挙げられるだろう。しかし、いずれにしても私たちが求めているのは、一時的に自分と現実世界を忘れて他人の人生を体験することではないだろうか。そこで、映画や長編小説では集中力が続かずにクライマックスまでたどり着けない私がおすすめするのが『ほしのはじまり 決定版星新一ショートショート』。この本は一作品が数ページから十数ページのごく短い物語“ショートショート”から成り立っており、読者はそれぞれの物語が持つ不思議な世界に入り込むことができる。星新一作品の特徴は、登場人物に複雑な設定がなく具体的な地名もほとんど出てこないことであり、読者の想像力が邪魔をせずに読み進めることができる。そのため、読者は「エヌ氏」や「男」といった作中の人物の境遇を、自分が体験しているかのように楽しむことができる。また、いずれの作品もごく短いながら話がどんどん展開し、皮肉が効いたオチが待ち受けている。ショートショートの魅力は、壮大な物語が濃縮されていることであり、それぞれの物語に読み応えがあることだ。それゆえ、一作品読むだけで映画を一本観たような満足感を得ることが出来る。しかも、その満足感を得るまでにかかる時間はわずか数分である。映画を見る時間がない忙しい人や、私のように集中力がない人の気分転換にはピッタリだ。ただし、次の話が気になってやめられなくなるのにはくれぐれもご注意を。
奇妙な殺犬(?)事件から始まるクリストファーと家族の話
P.N ペンギンチョコさん
夜中に犬に起こった奇妙な事件(マーク・ハッドン)
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この小説の舞台版の公演を観たことが、興味を持ったきっかけでした。舞台公演を観た時も斬新な演出に衝撃を受けましたが、原作の小説も私にとって、今まで出会ったことのないタイプの新しい小説でした。
主人公は、15歳のクリストファーという少年です。彼が自分の周りに起こった出来事を書いて本にしたという設定ですが、彼の感じ方は大多数の人たちとはかなり違っています。ほぼ完全な立方体だったからという理由で、彼にとっては警察の独房も心地よい場所なのです。人の表情を読み取ることや比喩を理解することが苦手な一方で、数学と物理が得意で、また並外れた記憶力を持っています。他の人が話したことや、時間、物の特徴を細部まで正確に記憶して書いています。
話はクリストファーが夜中の十二時七分に、近所の飼い犬が庭仕事用のフォークに刺されて死んでいるのを発見するところから始まります。クリストファーはその事件の謎を解明しようと動き出します。その過程で、彼はいくつも新しいことが出来るようになり、また家族の謎も明らかになってきます。数学が大好きな彼らしく、章番号も普通とは違います。いきなり2章から始まり、その後は3,5,7,11,13…と続きます。
フィクションですが、まるでクリストファーという少年が実際にいると思ってしまうほどリアルです。クリストファーを通して、世界を違った視点から見てみませんか。
「コミュ力至上主義」からの脱却
友だちリクエストの返事が来ない午後(小田嶋隆)
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「大学に入ったらたくさん友だちを作りましょう」と、入学したての頃に何回かアドバイスを受けた。友だちが多くなるほど視野が広くなり、また、豊富な人脈は社会に出てからも役立つのだという。私感を述べると、自らの将来のために仲間を作るという発想は、わりと利己的であるように思えてならない。しかし、「友だち」という言葉は無条件にポジティブなイメージを想起させ、多少がめつい意図が見え隠れする文言でさえも耳障りよく装飾してしまう。逆に言うと、「友だち」の概念を斜に構えて見つめれば、今まで見えてこなかった綻びを発見できるかもしれないのだけれど、記号的に「良い」とされているものを解体していくのはなかなか難しい。多くの批判も浴びるだろうし。
だが、本書はわざわざその作業に取り組む。友だちをテーマにする24編のコラムが収録されてあるのだが、一般的な友情礼賛に着地するものはひとつもない。どれもが既存の美談をスクラップにしてしまうような内容である。薄々感づいてはいたのだけれど、無意識のうちに目を背けてきたようなことを、精緻な文章で華麗に指摘する。次第に、脳内に漠然と存在していた美しい友情のストーリーがフェードアウトする。だが、不思議と不愉快な気持ちにならない。ページを進めるたびに「友情とはかくあるべき」といったような圧力から解放されていくようで、気分が軽くなる。
最近、就活からJ popの歌詞まで、何かと協調性が重要視されている場面に出くわす。集団からあぶれた者のために、「ぼっち」「コミュ障」などの蔑称がスタンバイしている。そんなコミュニケーション至上主義ともいえる雰囲気をどこか窮屈に感じて、辟易している人も少なくないはずである。本書はそういった息苦しさを抱えている人たちに、ため息をつくことができる自由を確保してくれる。
分からないから面白い
道化師の蝶(円城塔)
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第146回芥川賞を受賞した作品であるのだが、とにかく選評が賛否両論であった。本書はかなり難解な文体で書かれており、それをどう捉えるかによって評価が二分する。私自身、この本を2回読んだのだけれど、未だに確固としたストーリーは分からない。逆に言うならば、ストーリーが釈然としないのに二度も面白く読んでしまった。
タイトルである「道化師の蝶」とは、人の発想を可視化した存在である。蝶は人の脳内に巣食うが、ひとたび蝶が外へ逃げ出してしまうと、その発想は忘れ去られてしまう。登場人物のA・A・エイブラムスは、銀糸で編まれた虫網を振り回して、この道化師の蝶、つまり誰かが逃してしまった発想の片鱗を捕まえようとする。うん、いきなり突飛な話をしてしまい申し訳ないと思うのだけれど、いかんせん非常にエキセントリックな小説なので、あらすじ紹介なんてできない。つまりは簡単に要約できない面白さが遍在しているわけで、潜在的な小説としてのダイナミズムを強烈に感じる。ただ、そのエネルギーだけを抽出しようとすると、必ずと言っていいほど失敗する。
読んでいる途中、小説が隠し持つメッセージを何度も推量する。翻訳文学への批評、言語学、テクスト論、発想とは何か、等々…。しかし、新たな単語が目に入る度に、思考は新しく生まれ変わり、ほんの一瞬前まで思い浮かべていた仮説は忘れ去られる。まるで、蝶が逃げ出していくように。
入試現代文のように「作者が伝えたかったことは何か」を真面目に考えると、この本はひたすらに難解でふざけている本に見えてしまう。そもそも、明確に作者が伝えたかったことなんて、多分ない。各々の読者が度重なる解釈を重ねることで、無数の蝶(発想)が誕生する。それらは辺りを自由に飛び交い、一匹一匹が流麗に羽をはためかせる。ストーリーは分からなかったけれど、その蝶の群れにただただ魅了されてしまう。
脳味噌を掻き回されるような読書体験
P.N 珍獣さん
粘膜人間(飴村行)
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私が紹介したい本は、飴村行著「粘膜人間」である。この作品は2008年に第十五回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞している。タイトルからなんとなく、皆さんは気持ち悪い作品を想像していると思う。皆さんのご想像は全く正しい。本作の気持ち悪さは、幼少期に性行為の現場を目撃してしまったトラウマ体験を濃縮したものに近い。しかし本作はホラー小説ながら怖くはない。粘膜人間は登場せず、河童が登場する。
本作の舞台は戦時中の日本の農村であると考えられる。そこには溝口家という家族が住んでいる。溝口家は父と息子三人の四人家族で、三兄弟の名は年上から、中学三年生の利一、中学二年生の祐二、小学五年生の雷太である。利一、祐二は父親の実子であるが、雷太は父親が再婚した和子という女の連れ子である。和子は村の若い男と駆け落ちし、失踪している。本作は雷太を中心に展開される。雷太は、顔は普通の小学五年生ながら、首から下が異様に発達しており、身長は195センチ、体重は105キロある。ジョジョの奇妙な冒険に登場する空条承太郎とほぼ同じ体格である。ある日を境に利一と祐二は雷太の横暴に苦しめられることとなり、生命の危機を感じた二人は、村はずれにある沼に棲み面妖な怪力を持つという河童に雷太の殺害を依頼する。設定からめちゃくちゃである。
私が本作をお勧めする理由は、本作を読むことで価値観が破壊されるからである。本作に倫理観は存在しない。風刺も存在しない。ひたすら人間の暴力性、欲深さ、死を描いている。本作の登場人物はひたすら自分の欲望のために行動する。作者も恐らく、自分の描きたいシーンを詰め込んで本作を書き上げたのではないだろうか。私は本作を読んで、価値観が変わった。自分のやりたいことを自分のやりたいようにやろうと思えるようになった。価値観が壊される、脳味噌を掻き回されるような読書体験が、皆さんにも訪れることを祈っている。
P.S
私が女性の友人に本作を貸したところ、彼女は電車内で本作を読み、阪神元町駅でホームのゴミ箱に捨ててしまった。このことから私は本作が女性向けではないと推測する。勇気ある女性は是非読んでみてほしい。
都市に隠れた“トマソン”を見逃すな! 普段の街歩きに新たな歓びを与える「路上観察学」の決定版。
P.N 角 羊子さん
超芸術トマソン(赤瀬川原平)
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トマソンと聞いて、元プロ野球選手の顔が思い浮かぶ読者は何人いようか。
この著書で述べられる「超芸術・トマソン」とは、読売ジャイアンツで四番打者に据えられたものの見事に!空振りをし続けた、ゲーリー・トマソンの名に由来する。役に立たないにも関わらず愛される、「不動産に付属し(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」という概念は、今からおよそ一世代前にちょっとしたブームになったーー83年には「トマソン観測センター」設立、89年には映画『機動警察パトレイバー the Movie』に登場するなど、「超芸術トマソン」はカルチャーのハイ・ロウを問わず様々な分野に影響を与えてきたようである、われわれ若者の与かり知らぬところで。わたくし自身このような一風変わった本は、数頁めくってお終いにしてしまうことが多いのだが(才女に教わり興味本位で購入したものの、現に何年かは放っておいた)、ふと空き時間に読んでみるとこれが妙に面白いのである。
散歩中におかしな建築を探す人々の奇妙な雑記、と思うことなかれ。行く当てなく、ただ上って下りるだけの「無用階段」、塗り込めた壁から飛び出た蛇口「でべそ」、開けると壁面の「純粋シャッター」など、昭和を感じる白黒写真にぼんやりとキャプションを眺めるだけでも楽しい。そういえば通学路にトマソンはあったっけ? 読むと普段の散歩道が180度変わって見えること、請け負いです。
自分を敏感で傷つきやすいと思っている人ほど、美しい心の前には鈍感なのではないか? 哀しく切ない短編。
P.N pevanさん
眉山(太宰治)
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『人間失格』は暗くて読む気にならないが今さら『女生徒』なんて気恥ずかしくて手に取れないし、さりとて『斜陽』じゃまるで気取った文学青年みたいだと駄々をこねるかつての文学少年へ。大学生になって時間が出来たらゆっくり名作を読もうと思っていたのにバイトとサークルだけでもかなり大変で、きちんと単位も取っていたら結局時間は全然なくて、到底読みきれない本の山に少し苦い気持ちで目をそらしてきた理科系のあなたへ。「そういえば。」中学生のとき読みかけて断念した太宰の文学のことを思い出してはくれないだろうか。
鬱陶しい女子がやけに明るく絡んできて、こっちは考えることもすべきことも山積みなのに、構うなとどんなに言っても聞かない。あんまり言うとこっちが悪いような気分になってきて何だか不快でやりにくいーー打算的に女子と交わる前の少年はどんな風にこの小説を読むのだろうか、エゴイスティックで毎日必死だったあの頃の自分は。
どうか一人きりのときに、一限のない晴れた日の朝に、早起きをして読んでみて欲しい。マグカップにカフェオレを入れて、トーストした食パンを横目にゆっくりと。きっと30分もかからない、太宰の筆の力にあなたは圧倒される。
何もかも押し流された後、最後に残るのは何?