神戸開港文書


横浜と並び日本の代表的な港である神戸港は、江戸時代幕末の慶応三年十二月七日(1868年1月1日)に開港しました。「神戸開港文書」は、神戸大学附属図書館が所蔵する伊藤博文の神戸港に関する文書を始め、神戸港開港当時に港近くの庄屋が持っていた資料などを含む神戸港開港関係の資料コレクションです。「神戸開港文書」のうち整理済みの文書について、目録をデータベースとして公開すると同時に、本文を電子化公開します。
(参考文献:添田仁(神戸大学大学院人文学研究科)「神戸外国人居留地と福原遊女・新撰組 : 神戸大学附属図書館所蔵コレクション『神戸開港文書』の可能性」『海港都市研究』2010, 5, p.75-87.

「神戸開港文書補遺」解題

山本 康司(神戸大学大学院人文学研究科 2020年3月)

「神戸開港文書」の来歴

神戸大学附属図書館には「古文書」という名称の文書群が所蔵されている。「古文書」は雑多な文書を寄せ集めたものであるが、そのなかには神戸開港に関わる内容の文書が含まれていた。そのため、「古文書」のなかから神戸開港に関わる内容の文書を抜き出し、「神戸開港文書」として独立させることになった。ただし、「神戸開港文書」が作られた経緯・手順については記録が残っておらず、詳細は不明となっている。

そこで、「神戸開港文書」のなかで「古文書」から抜き出されたものを探し出し、『図書受入原簿』から来歴を調べてみると、「神戸開港文書」に抜き取られた「古文書」が太田幸子納の文書(太田幸子から神戸大学附属図書館に納められた文書)と高尾書店納の文書(高尾書店から神戸大学附属図書館に納められた文書)に限定されることがわかった([表])。太田幸子とは太田陸郎の妻である。また、高尾書店は大阪の古書店であるが、高尾書店納の文書には太田陸郎の所蔵印が押されているものがあるため、高尾書店納の文書も元は太田陸郎所蔵文書と考えられる。

したがって、「神戸開港文書」は「古文書」のなかの太田陸郎所蔵文書に由来する文書と指摘することができる。

「神戸開港文書補遺」の発見

「神戸開港文書」が収納されている箱の近くに、中性紙の文書箱(箱①)と木箱(箱②)があり、そのなかに文書が残されていた。

まず、箱①には封筒計103封が納められており、その封筒のなかに文書が入っていた。既に整理が行われており、各封筒には「神戸開港資料整理カード」がクリップで留められていた。

また、箱②は「神戸開港文書」の整理に用いられた使用済みの封筒(神戸大学付属図書館の封筒)を収納していた箱であり、封筒自体は空であったが、封筒を取り出すと、箱の底部分に紙箱があり、その紙箱のなかに文書(欧文の手紙・封筒など)が入っていた。  ①②箱の文書はすべて神戸開港に関わる内容の文書であるが、いずれも「神戸開港文書」として登録・公開されていなかった。そのため、①②箱の文書は、「神戸開港文書」を作るために「古文書」から抜き出したが、何らかの理由で「神戸開港文書」に加えられないまま残されたものと考えられる。  なお、「神戸開港文書補遺」のなかに、太田陸郎の所蔵印が押されている文書が確認できた。よって、「神戸開港文書補遺」も、「神戸開港文書」同様、太田陸郎所蔵文書に由来すると考えられる。

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