古文書補遺


古文書補遺解題

「古文書補遺」は、神戸大学附属社会科学系図書館の貴重書庫において未整理となっていた文書群である。三つの木箱に収められており、いずれの箱にも文書名などは付けられていなかった。また、すべての文書に原簿番号が付けられておらず、『図書受入原簿』から来歴を辿ることができなかった。

今回の整理によって、神戸大学附属社会科学系図書館「古文書」に関連する文書が含まれていたことが判明したので、「古文書補遺」と名付けることになった。

「古文書補遺」箱1

「古文書補遺」箱1の文書は計126点であり、文化9年(1812)から昭和11年(1936)までの雑多な文書が寄せ集められている。前欠・後欠の文書や封筒・包紙が多い点や、神戸港開港関係の史料や外国人関係の史料が含まれている点が特徴として指摘できる。

そして、「古文書補遺」箱1の神戸港開港・外国人関連の史料のなかには、社会科学系図書館所蔵「神戸開港文書」に密接に関わる文書が含まれていた。例えば、「古文書補遺」箱1№ 75は「神戸松屋町阪田屋平次郎蒸気免状願一件」と書かれた封筒(中身なし)であるが、この封筒の中身は「神戸開港文書」B6-0814-01の「乍恐以書附奉願上候」(川蒸気船製造に関する阪田屋平治郎の願書)に該当する。そのほか、「古文書補遺」箱1№ 10には「徳澄」という中国人がみられるが、この人物は「神戸開港文書」A1-0623、A1-0632、A1-0643にも登場する。

「神戸開港文書」は、雑多な古文書を集めた「古文書」から神戸開港に関わる文書を抜き出したものであるが、「神戸開港文書」に集められた「古文書」はすべて太田陸郎所蔵文書に由来するもの(太田幸子納と高尾書店納。太田幸子は陸郎の妻である。また、高尾書店は大阪の古書店であるが、高尾書店から購入した古文書のなかには太田陸郎の所蔵印が押されているものがあるため、もとは太田陸郎所蔵文書であったと考えられる)であった。それを踏まえると、「神戸開港文書」に関連する文書を含む「古文書補遺」箱1は、「神戸開港文書」同様、太田陸郎所蔵文書に由来すると考えられる。

「古文書補遺」として残されている文書は、「古文書」に分類されるべき文書であったが、分類・整理されずに「古文書」から除外されたのだろう。「古文書」から除外された理由については明らかではないが、前欠・後欠の文書や封筒・包紙が多いことが理由だったのかもしれない。

「古文書補遺」箱2

「古文書補遺」箱2の文書は計31点であり、花熊村名寄帳(1点)・淡輪家関連の奉公人請状(14点)・写経類(16点)がある。

花熊村名寄帳(№ 1)は享保2年(1717)のものであり、淡輪家関連の奉公人請状(№ 2 ~15)は文政13年(1830)から元治1年(1864)までとなっている。淡輪家関係の文書は「古文書」にも残されており(「古文書」№273・ 274)、「古文書補遺」箱2と「古文書」の関連が読み取れる。さらに、「古文書」の淡輪家関係の文書は太田幸子納であった。そのため、「古文書補遺」箱2は、「古文書補遺」箱1と同様、太田陸郎所蔵文書に由来すると考えられる。この考えは、「古文書補遺」箱2のなかに大田陸郎の手紙と思われる紙(№ 19)が含まれていることからも裏付けられる。

また、写経類は断簡が多いものの、日岡神社(兵庫県加古川市)に糟谷能清が奉納した大般若経(年月日不詳。№ 16・17)や、永和2・3年(1376・77)に「但馬国朝来郡」の「桑市村草菴」(詳細不明。兵庫県朝来市桑市カ)において「友之久友」・「沙弥道久」という人物が書写した大般若経がある(№ 18・25・26)。

「古文書補遺」箱3

「古文書補遺」箱3の文書は計4点で、いずれも淡路にある村の林・材木に関する帳簿である。史料の年代は17世紀後半である。ただし、すべて虫損甚大であり、詳細な分析を行うことはできなかった。来歴等も不明である。
(2020年3月 神戸大学大学院人文学研究科 山本康司)

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