王敬祥関係文書


神戸大学電子図書館事業の一環として、兵庫県立歴史博物館が所蔵している「王敬祥関係文書」をデジタル化し、「王敬祥関係文書」を利用した神戸華僑に関する調査研究成果を、広くネットワーク公開するものです。
(協力:神戸大学国際文化学部安井三吉研究室・兵庫県立歴史博物館・神戸華僑歴史博物館)

「王敬祥関係文書」とは

清末から中華民国初期にかけて、孫文などの革命派(具体的には国民党・中華革命党など)を支援した、神戸華僑・王敬祥に係る一連の資料群のことをいいます。この中には、南京臨時政府から王敬祥に発給された公文書や、孫文・黄興・陳其美、また華僑聯合会(上海)・福州商務総会などからの書簡のほか、王敬祥が執筆したものと思われる時局に関する論文の下書きなどが含まれています。中華民国建国前後の、革命を支持した日本華僑の思想と活動の実際を知ることができる貴重な資料です。

現在は姫路市にある兵庫県立歴史博物館が所蔵しています。
'孫文と王敬祥ら神戸華僑'——1913年(大正2年)3月14日、神戸在住の中国人と財界有志は舞子の呉錦堂別荘「松海別荘」で、孫文歓迎の昼食会を開いた。孫文は前列右6、王敬祥は後列右5。(『孫中山記念館(移情閣)概要』18頁より転引)

〔主に、松本武彦「王敬祥関係文書」(可児弘明・斯波義信・游仲勲編『華僑・華人事典』弘文堂,2002年6月)66頁を参照〕

王敬祥とは

おう けいしょう。中国福建省金門島山后郷の人。1872年1月(清同治10年12月)の生まれ。1888年(明治21年)、大阪に移り、1892年あるいは1893年(明治25年あるいは明治26年)に神戸に移住し、1922年(大正11年)6月、神戸の自宅で肝臓癌のために亡くなりました。享年50歳。

王敬祥は、明治末から大正期にかけて、神戸において養父・王明玉の後を継いで貿易会社「復興号」を営み、また横浜正金銀行神戸支店の買辦(コンプラドール)(あるいは為替仲買人)を勤める一方、神阪中華会館理事長、神戸華僑同文学校(現在の神戸中華同文学校)の副董事長、神戸八閩公所(現在の福建会館)の会長(理事長)など神戸華僑の重鎮の一人として活躍しました。
'「王敬祥監製」マッチの箱'——マッチの商標は、アヘン中毒を治療する薬草「臥龍草(がりゅうそう)」の絵と「王敬祥監製」の文字をあわせたもの。箱の背面には、臥龍草の効用や処方、飲み方、そしてアヘン吸引の悪習をやめるようにと呼びかける言葉が中国語で記されている。このマッチは王敬祥が経営する「復興号」を通じて中国へ輸出されたようである。この商標は1906年(明治39年)10月と1909年(明治42年)10月の2度、王敬祥の実兄の王敬済によって登録された。(田中マッチ株式会社所蔵,蒋海波撮影)

その一方で、1911年(明治44年)、辛亥革命が起こるやいちはやく中華民国僑商統一聯合会を組織して孫文ら革命派を支援し、中華民国建国後は、国民党(1912年(大正元年)8月結成)神戸交通部副部長、中華革命党(1914年(大正3年)7月結成)神戸大阪支部支部長を務めるなど、神戸にあって孫文の革命運動を一貫して支援し続けました。
'金門島山后郷中堡'——王敬祥は、養父の王孝匣(明玉)と二代にわたり、出身地である金門島山后郷に、王氏一族の住宅・家廟・同郷や同族の子弟を教育するための郷塾を建てた。1900年(光緒26年)完成。これらは「山后中堡十八間」と呼ばれ、金門島における「閩南伝統」建築の傑作とされている。(2003年12月,蒋海波撮影)

また、王敬祥は、養父の王孝匣(明玉)と二代にわたり、出身地である金門島山后郷に、王氏一族の住宅・家廟(王氏宗祠)・同郷や同族の子弟を教育するための郷塾「海珠堂(民国以降、海珠学校と改称)」を建てました(1900年(光緒26年)完成)。これらは「山后中堡十八間」と呼ばれています。その後、中堡は「中華民国」の軍隊の進駐や島民の流出によって荒廃しました。1979年から1980年にかけて金門県政府が中堡を文化遺産「金門民俗文化村」として復元工事を行いました。現在、金門民俗文化村では王氏一族の事跡の紹介や、伝統的な生活用具などの展示がなされています。
'「金門民俗文化村」の入口'——1979年から1980年にかけて金門県政府が中堡を文化遺産「金門民俗文化村」として復元工事を行った。現在、金門民俗文化村では王氏一族の事跡の紹介や、伝統的な生活用具などの展示がなされている。(2003年12月,蒋海波撮影)

〔主に、松本武彦「王敬祥」(前掲『華僑・華人事典』)66頁を参照〕


兵庫県立歴史博物館 (姫路市) | 神戸華僑歴史博物館 (神戸市) | 孫文(孫中山)記念館「移情閣」 (神戸市) | 神戸市立博物館 (神戸市) | 田中マッチ株式会社「燐寸博物館」 (姫路市)

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