兵庫県大学図書館協議会講演会(2003.11.28)
わが国の大学における障害のある学生の数は、全大学生270万人に対して約500人にすぎないが、英国では12万人の大学生のうち7000人は障害のある学生と言われている。彼我の違いは、「障害者」という扱いの違いの故でもあるが、DDA(Disabled Discrimination Act)という「障害者差別禁止法」の効果でもあろう。
兵庫県は1993年全国に先駆けて「福祉のまちづくり条例」を施行し、2002年の改正では学校も整備すべき対象施設に組み入れられた。新築あるいは大規模改修の際には誰もが利用しやすい施設であるための配慮が求められる。法令の規定によらなくても、大学施設の地域への開放と高齢社会の到来という流れを見れば、大学図書館が障害のある人を含めた多様な利用者に便宜を提供すべき時代を迎えているといえる。
1974年国連の障害者生活環境専門家会議において、障害のある人の社会参加を妨げている建築上の障壁(バリア)の存在が提起され、障壁を取り除く行動としてバリアフリーが提案された。バリアとは建築物だけでなく、製品の使用や情報へのアクセス、入試や資格取得など広範囲に存在している。また、障害のある人への差別や憐れみといった心の中に潜むバリアもある。このようなバリアは障害のある人を「我々」とは異なる存在(彼ら)として捉えるところに生じ、取り除くことが難しい障壁となる。
建築や製品に対するバリアフリーの取り組みはわが国でも1970年代から取り組まれてきた。しかし、多くは障害のある人に対する特別な対応、弱者に対する福祉的な対応と考えられてきたため、使用者の利便や尊厳に対する配慮には欠ける対応も多く、公的なセクター以外には広がっていかなかった。新築時に車いすのままでも入れる大きな便所が作られるが、出入り口がカーテンで仕切られたプライバシーの保護に欠けるものであったり、男性と女性の区別もなかったり、いつのまにか倉庫代わりに使われたり施錠されていたりするものであった。高齢社会の到来とともに社会インフラのバリアフリーは民間商業施設などにも広がっていったが、「特別な扱い」は急展開しなかった。
大学は入学試験の方法から、視聴覚や肢体の機能に障害のある受験生には長い間門戸を閉ざしてきたが、筑波技術短期大学のように障害のある学生のための大学が設立され、一般の大学でも点字受験やワープロによる解答に配慮するところが増えつつある。スポーツ事故や交通事故による在校生の受障に対応するための設備改善や、新築時の配慮など、建築上のバリアフリー化は少しずつ進んできている。
バリアを取り除き利用を可能にすることをアクセシビリティの確保という。階段によるアプローチに対して、緩勾配の斜路を設ければ車いすでの出入りが可能になる。しかし、出入りが可能になるだけでは十分ではなく、希望の図書を探し、書架から取り出し、ページを繰り、カウンターで借り出しの手続きをすることがすべて滞りなくできなくてはならない。つまり、建築上のバリアだけでなく、資料探索、機器の使用、資料の扱い、情報利用といったあらゆるシーンにおいてバリアが取り除かれていなくてはならない。逆に、図書館という建物への出入りができなくても、希望する図書を借り出せたり、資料や情報を入手したりができればアクセシブルな図書館となる。このような考え方は「プログラム・アクセス」と呼ばれ、障害をもつアメリカ人に関する法律(ADA: Americans with Disabilities Act)においても重要な意味をもつものとされている。
実際、図書館は活字情報にとどまらず、多様なメディアを提供する情報館になりつつある。図書へのアクセスだけでなく、情報へのアクセスにも配慮が求められる。このためには、障害のある人に配慮したパソコンやソフトウェアを提供することも必要になる。これらに関しては、こころWeb(http://www.kokoroweb.org/)やアクセシビリティ研究会の「情報アクセシビリティとユニバーサルデザイン(ASCII Books)」を参照されたい。
図書館では対面サービスも欠かせない。できるだけ自身で行動できることが望ましいが、不慣れな環境ですべての行動を完結できないのは、サインや設備の充実度にも障害の有無にも関わらず誰にも共通する問題である。(だからといって建築や設備への配慮を怠る理由とはならないが。)手話を話せる係りがいなくても、カウンタにメモ用紙と筆記具が置いてあり、筆談用に使用できることが明示されていれば聴覚に障害のある人も気軽にたずねることができる。有人窓口まで安全な歩行経路が誘導されていれば、視覚に障害のある人も迷わずにすむ。障害のある人への応接や手助けの方法は井上滋樹氏の「イラストでわかるユニバーサルサービス接客術(日本能率協会)」に障害の種別ごとにわかりやすく説明されている。
車いす使用者の自由な行動を可能にするには、段差の解消と通路幅員の確保(80cm以上)が最低条件となる。書架と書架の間は少なくとも人と車いすがすれ違えるだけの余裕は必要であるし、できるだけ多くの図書が座っていても手が届く高さの範囲に並んでいるべきである。カウンタの高さは車いす使用者が利用しやすい低い高さにし、視線の高さが揃うように職員も座位で応対するとよい。
バリアを取り除きアクセス可能にしていくことは、少数の特殊な要求に対する特別な対応として取り組むこともできるが、このような要求をより普遍的な多くの人が潜在的に抱える問題と解釈し、根源的な対応として取り組むこともできる。設計や計画の初期の段階から利用者の多様性に注目し、対応可能な幅を拡大させるアプローチである。多くの人は融通が利くので、建築や製品に制限があっても特に問題を感じることなく使用してしまう。しかし、状況が変化すれば同じ建築や製品に対して不便を感じることも多い。建築や製品がもっと融通が利くように作られていれば、状況が変化したときも不便に感じることがなくなり、融通が利かない高齢者や障害のある人にも使える建築や製品を提供することができる。問題が発生するたびに対症療法的にとりくんできたバリアフリーに対して、問題自体が生じないため、配慮そのものに気がつかずに利用することができる。自らの能力の制限を自覚させられることもなく、最も自然な方法で行為が達成されれば、能力の制限そのものは意味のないことになる。かつてヘレンケラーは「障害は不便だけど、不幸ではない」と言ったが、不便でもなくなれば障害もある意味では無くしてしまえることになる。
ユニバーサルデザインは、人種や年齢、性別、能力の多寡に関わらず誰もが使用できる建築物や製品をつくることであり、物理的なバリアを根源的に除去することである。しかし、誰もが同じ環境や製品を共有することで、障害の有無を問いかける必要がなくなる。ひいては、「我々」対「彼ら」という心のバリアも取り除いてしまえるであろう。
c2002- 兵庫県大学図書館協議会