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近代神戸の足跡

−神戸大学附属図書館所蔵資料から−

4.多様な産業の盛衰

鈴木商店と関連産業


台湾製糖
台湾製糖神戸工場(東尻池町) 拡大
『神戸市之工業』(1912発行)より

鈴木商店と神戸の糖業

総合商社として数奇な運命をたどった鈴木商店のはじまりは1874(明治7)年に鈴木岩次郎(初代)が海岸通で創業した洋糖輸入商です。開港後、神戸は横浜と並んで洋糖の大輸入港となり、香港車糖や欧州甜菜糖の取引が活発に行われていました。1902(明治35)年に合名会社となった前後から鈴木商店の業務は華々しい多角化をとげますが、毎月発行されていた「鈴木商報」を見ると、大正期にいたるまで砂糖に関する記事が圧倒的な分量を占めています。

日本における近代製糖業は、日清戦争後の1895年ごろに本格化しました。鈴木商店は神戸ではなく北九州に大里精糖所を設立して製糖業に進出しますが、神戸でも1908年、湯浅竹之助創業の「神戸精糖」神戸工場が東尻池村に設立されました。同工場は1911年に台湾製糖に買収され、拡張を重ねて国内有数の大規模工場になります。また同じ東尻池村には1915年に帝国製糖神戸工場も建設され(後に明治製糖が買収し拡張)、大正から昭和にかけて製糖は神戸の重要産業の一つとなりました。

明治末期の神戸製鋼所
明治末の神戸製鋼所 拡大
『The Kobe Steel Works Co. Ltd』(1912発行)より

鈴木商店の大発展と金子直吉

創業者鈴木岩次郎が1894(明治27)年に死去すると、鈴木商店は夫人の鈴木よねを店主とし、高知出身の金子直吉が「大番頭」として積極経営を指揮することとなりました。砂糖・樟脳・薄荷が取引の中心でしたが、1902年の合名会社化後は取扱商品の多角化と製造業への進出を急速に進めていきます。特に神戸の地には1909年の時点で、樟脳製造所3カ所(葺合町、旭通、雲井通)と薄荷製造所(磯上通)、魚油製造所(北本町)、そして1908年に傘下に入った神戸製鋼所(脇浜町)を直営工場として運営していました。

さらに船舶・セルロイド・人絹・製粉・塩業等にも乗り出し、第一次世界大戦の戦時景気で国内外の支店70余、関連企業約80社という飛躍を遂げます。貿易年商が15億円を突破して三井物産を凌いだ1917(大正6)年に金子は、三井三菱と「天下を三分する」ことをめざすと宣言しています。

丁稚奉公から叩き上げた金子直吉は強烈なリーダーシップと積極性で数々の逸話を残しています。一方、その下には学卒社員が積極的に採用され、高畑誠一や永井幸太郎ら神戸高等商業学校卒業生も多数活躍していました。

鈴木本社
鈴木本店 拡大
『英和日本商工人名録』(1918発行)より

米騒動から金融恐慌まで−鈴木の破綻

城山三郎の小説『鼠』などでよく知られていますが、1918(大正7)年8月12日の米騒動で、東川崎一丁目(神戸駅前)の鈴木商店本社は焼き打ちに遭いました。当時鈴木は政府の米価調節策に応じて外米輸入や朝鮮米移入を行っていましたが、その過程で「買い占め」等の風説が流れたことが主因といわれています。

騒動後海岸通に社屋を移した鈴木商店は、1920年には資本金の百倍増資を行うなど、さらに躍進をとげました。しかしちょうどそのころ、大戦後の不況が本格化し、急速な多角化で多額の借入金を抱え、その借入金の大部分を台湾銀行一行に頼る形となっていた鈴木の経営は、一気に苦しくなります。そして、1927(昭和2)年の金融恐慌で台銀から拒絶されると、同年4月2日に倒産を余儀なくされることとなりました。

商社鈴木は「日商」(「日商岩井」を経て、現「双日」)に引き継がれ、関連会社はそれぞれの道をたどりました。帝人、神戸製鋼、石川島播磨重工、日本製粉、サッポロビールなどはかつて鈴木系列だった企業です。

台湾製糖
葺合樟脳 拡大
『神戸市之工業』(1912発行)より

樟脳産業の発展

樟脳は防虫剤等の用途のほかに、1869年ごろに発明された新素材「セルロイド」の原料の一つであったため、戦前期には非常な需要のある重要産品でした。クスノキから産出される粗製樟脳は近世から輸出品でしたが、明治初年からはその輸出のほとんどを神戸港が担うようになります。

さらに日清戦争で一大産地の台湾が日本領となると、政府は1903(明治36)年に樟脳専売制を実施し、内地・台湾の樟脳を国内で精製して輸出する方針をとります。このため住友樟脳(1888年に現在の雲井通で創業)をはじめとする精製工場が葺合地区に次々と勃興しました。

鈴木商店はこのころ、精製時に出る樟脳油を再蒸留する再製樟脳事業について専売局と請負契約を結び、また1903年には住友樟脳を買収し、樟脳製造・販売に大きな役割を果たすようになります。その後神戸の樟脳生産額は大正後半にさらに大きく伸びますが、一方で次第に伸張する合成樟脳との競争にもさらされました。このため、1918(大正7)年には政府主導で精製業者を大合併し、鈴木商店・三井物産が株式を持つ独占企業「日本樟脳」が神戸に誕生しています。


■展示品
No. 資料名 種類 発行・出典 概要 リンク
4-3-1鈴木商報(明治43年10月)記事1910(明治43)鈴木商店が月3回「7」の付く日に発行していた情報紙。ほとんどの号で、砂糖に関する記事が多くを占めている。詳細
4-3-2鈴木商報(大正3年8月)記事1914(大正3)第一次世界大戦開戦を受けた号。詳細
4-3-3金子直吉の署名署名1924(大正13)『経済野話』自著『経済野話』に金子直吉が贈呈添書をしたものが当館に所蔵されている。詳細
4-3-4『米価問題と鈴木商店』記事1918(大正7)米騒動による焼き打ち事件後、鈴木商店が米価調節問題における自らの位置を述べ、買占め等の風評の誤りを主張した冊子。詳細
4-3-5金子直吉翁晩年の肖像(小磯良平画)絵画(写真)1950(昭和25)『金子直吉伝』伝記の口絵写真となっている、小磯良平画の金子直吉肖像
著作権上、資料画像は公開しません
 
4-3-6『内地樟脳専売事業年報』(明治38年)記事1906(明治39)1903(明治36)年に敷かれた樟脳専売制に伴う大蔵省の年報詳細
4-3-7日本樟脳株式会社写真1921(大正10)『神戸市工業概況』1918(大正7)年に大合同で成立した日本樟脳の本社と工場風景詳細
4-3-8日本樟脳の内地商標図版1938(昭和13)『精製樟脳史』製造を独占していた日本樟脳製品の国内向商標詳細

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